とても小さな女の子が、両手を伸ばして、やっと届くくらいのトラックの荷台を登って、降りて・・・
誰に言われるでもなく、天使のような笑顔で、私の隣を走ったり、私のハンドサイクルを押してくれたり・・・
小さな女の子には、到底、考えられない距離を少し、また少し、走る。
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
足首を捻挫している男の子が、会ってみたいと車に乗り込み、いつの間にかトラックの荷台へ・・・
更に、私の隣を足を引きずりながら走る。そしてハンドサイクルを押す・・・
その男の子は、次の日も、また次の日も・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
いつも途中で諦めてしまう女の子が、この4日間、横っ腹の痛みに耐えながら、笑顔で私の隣を走ったり、ハンドサイクルを押してくれたり・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
いつもは、自分の部屋で過ごすことが多い男の子が、この日だけと言うことで、一緒に走ってくれる・・・
はじめは遠めに、次第に近めに、常に真後ろに・・・
そして私の行動に合わせて、ハンドサイクルを押してくれる・・・
明日は、だめかも・・・
次の日も元気な彼の姿が・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
走りが遅いと思っている男の子は、この4日間の全ての距離を走りきることになる・・・
優に100kmを超える道のりを・・・
ゴール前の3km・・・今にも砕けそうな両足・・・ほとんど身体を支えていない・・・
苦痛に歪む顔・・・しかし最後まで諦めない・・・
走りぬいた彼の両足は、まったく動かない・・・しかし、彼は満面の笑顔・・・
彼の瞳の輝きに、その答えがあった・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
私の隣で、さりげなく走ってくれた、シャイな女の子の、合言葉は、『だいじょうぶ』・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
いつも私に親指を立てて目で合図・・・時には肩に腕を廻して・・・お茶目に帽子にお菓子を刺して・・・その場を和ます彼の笑顔・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
元気に日焼けした男の子は、言葉少なに、少し大人っぽく、とても頼もしく・・・ここぞと言うときに現れて隣を走ってくれたり、ハンドサイクルを押してくれたり・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
ハンドサイクルを初めて見た子どもたちは、自慢の自転車を持ち寄って、楽しそうに私の後ろを走ってくれる・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
普段とてもおとなしいと言われる彼が、車の最後尾から、私の後ろにつけて、子どもたちを自ら運転するトラックの荷台に乗せ、渋滞している後続車を誘導し、私への合図を無言で告げる・・・
私とのやり取りは、アイコンタクトのみ・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
準備段階から全ての裏方に徹し、一番やりたかったカメラを置いて、サポートし続ける・・・
最後の最後に、私の隣を走り、ハンドサイクルを押して・・・一緒にゴール・・・
彼女が越えようとした壁を自ら越えて新たな扉を開く・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
先導車の助手席に乗っていた女性が、いてもたってもいられず・・・ハンドサイクルを一生懸命に押してくれる・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
私たちは、走りますと一緒に走りだした、男女5名は、いつしか、車の交通整理を自然にこなしてくれていた・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
ハンドサイクルの搬送を毎日こなしてくれた男性は、『You are my hero.』と言い、親指を立てて、満面の笑顔をくれる・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
いつも、優しい笑顔の彼は、夕方となるゴール後の打ち上げの為に、午前中の稽古を中断して、バーベキューの用意と、場所取りに向かってくれる・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
肩の骨を削るという大手術を行ったばかりの女性が、一人の夢を叶えるために、全てを賭けて、全てを動かす・・・大きな行動を起こし、大きな奇跡を起こす!!・・・
全ての流れを変える・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
遠い日本の地から、思いを寄せて奇跡にパワーを注ぎ込んでくれる・・・
☆ そういうことなんじゃないかって ☆
まだまだ、書き足りない、言い表せない奇跡が、たくさん、たくさん、ありますが、これが私のグアムで得た、学んだ全てでです。
これを読んで賛否両論色々あると思いますが、私の素直な実感、感想です。
人それぞれが、それぞれの悩みを持ち、それぞれの夢を持ち、それぞれの思いを持ち、それぞれの行動を持っていると思います。
もし、何か一つの同じ思いを達成しようと思うとき、身体が勝手に反応して、無意識に自分が一番求めるものをありったけの愛情を込めて、男女を問わず、老若男女を問わず、全てを無償の愛で注ぎ込むことができる。そこに『 奇跡 』があるように思います。
日本出発直前になって、診断書の提出がなければ走ることができませんと、極一部の機関より通告を受け・・・
診断書が取れないまま、グアム入り・・・
何とか診断書を現地のドクターに書いていただき提出したのがスタート2日前・・・
全てが整ったと思ったのもつかの間、今度は、車一台につき25ドルの道路使用料をいただくと・・・
更にスタート前日、運転者全員の免許証のコピーと保険への加入が必要と・・・
「万事休す」かと思われた時、一人の女性が、この日参加予定の昼食会で、このことを話し、ガバナー(日本で言う総理大臣)の耳に伝わった。
ここからが奇跡の始まりでした。
次の瞬間全ての制約が解除となり、走行可能となったのが、スタート前日の夕方。
公道を走る自転車には、元々制約がなく自由。
たぶん、ハンドサイクルでグアムを一周するということ自体が、初めての出来事で、安全確保や、事故等への懸念があったのかなととも思うが・・・
しかし、一転して、OKとなったスタート当日からは、グアムの方々のWELCOMEな姿勢に感動の涙が止まらなくなる。とっても心の温かな方ばかりでした。
初日には、私たちは、道路をパトロールしているだけといいながら、POLICE CARがハンドサイクルの前と後ろに着け、交差点の中央に差し掛かると、サイレンを鳴らし、赤信号の中、私たちを止めることなく、走らせてくれたのでした。
また、最終日には、一番にぎやかな、繁華街を走るときに、3つの町のメイヤー(日本で言う町長)が私たちの先導車の先頭に3台、車を連ねて、歓迎の意味を込めてなのかサイレンを鳴らしながら、ゴール地点まで、誘導してくださったのでした。この間の交差点の赤信号も、全てノンストップで通していただいたのでした。
2日目に、テレビ取材を受け、情報を聞きつけた、グアム島の皆さんが、ゴール近くの公道で行く車も、来る車も、クラクションを鳴らして、ゴールを祝ってくれたのでした。
このクラクションは、最後まで数珠繋ぎに鳴り続け、途切れることはありませんでした。
そして大きな拍手の中、みんなでゴールできたのでした。
今回の、グアムの奇跡。本来はありえないことだと思いますが、たくさんの思いが一つになったとき、国をも動かす大きな渦となり、感動の奇跡が起きるのだと思いました。
グアム島の皆様・・・
スポンサーの皆様・・・
日本で応援してくださった皆様・・・
グアム合気会を中心にボランティアでサポートしてくださった皆様・・・
温かく見守ってくださった、たくさんの皆様に心より感謝いたします。。。
ありがとうございました!!(*^_^*)
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