第20弾IN沖縄(振り返り)
沖縄制覇から、1日が過ぎました。2日が過ぎました。早3日がたちました。と毎日気持ちは、記事を書いているのですが、4日目となる今日ようやく書き上げられそうです。この総まとめを書かないと沖縄を完走した実感がわきませんもんね。しっかりと振り返らせていただきますね!!\(^o^)/
とはいえ、まだ、まだ、実感がなく、しっかりと気持ちの中でも、振り返れていません。写真もじっくりと見れていないしね。(^^ゞ
今回の第20弾IN沖縄一周の8日間で走った総距離は 『 543.77km 』 でした。
当初の予定は『450km』だったので、約100kmも追加で走れて得した気分です。
1日目晴れ曇り。2日目午前中晴れ曇り、午後雨。3日目暴風雨。4日目曇り雨。5日目晴れ曇り雨、暴風。6日目晴れ曇り。7日目晴れ曇り。8日目晴れ。
今回のコース取りは、当初のコースから練り直すこと3回。はじめは、観光なしで国道と、奥からの県道をただ走るだけの、とてもシンプルなものでした。
2回目の練り直しで、残波岬に入るコース。古宇利島を一周するコース。海中道路を渡って伊計島までを一周するコース。喜屋武岬まで足を伸ばすコースが追加され・・・。
3回目の練り直しで、さらに世界遺産や、観光地、お勧め地などもコースに含めて、今回の沖縄一周コースが完成したのでした。
これも、12月はじめに入院したお陰(良いのか、悪いのか(^^ゞ)で、2冊のガイドブックを読破できたことと、ゆっくりとコースを選定できたお陰だと思っています。
いつもなら、そんな余裕もないので、本当にシンプルな旅となるのですが、今回の沖縄は、年末年始のプレゼントをいただいたみたいで本当に沖縄を満喫できたのでした。
Vento号のトラブルも、パンクが2回とブレーキワイヤーの破断と、想定内に収まりましたし。
私の身体も、脱水症状による嘔吐と、全身の痺れ。極度な運動と疲労による発熱。残り3日を残しての、ぶっつけ本番での右肩の酷使による、肉離れ寸前での激痛に耐え。と少し想定外な部分もありましたが、何とか最後まで乗り切ってくれました。
さすがに6日目の朝の右肩の激痛は半端なく、何度と、こけたり、倒れこんだりと自分でもおかしいなと、思うほどで、ここまで来たが、自分で決めた右肩の限界を超えた時点で、沖縄一周を断念しようと思い、リタイヤも考えながらの残りの2日間でしたが、奇跡的な快復をみせ、次の日の朝には、少し楽になっていたので、7日目、8日目を存分に楽しむことができたのでした。西山さん電話でのストレッチレッスンありがとうございました。m(__)m
しかし、この春までには、もう少し身体の負担を減らせる方法をマスターしようと思います。(^^ゞ
宿泊施設についても、お正月料金(倍額)や、観光客の多さを考えると、押さえるのは難しいと思っていたのですが、当日のお昼からでも、取れる感じでしたので、思ったより厳しくなかったですね。とりあえず基本はテントと決めていたので、あまりそちらに固執せずに気楽な気持ちで探せたというのも、良かったのかも知れません。ただ、奥だけは、ほんとにギリギリまでテントを覚悟していただけに、本当にありがたかったですね!!m(__)m
それから雨の日は、道路が滑るという情報もその通りで、4日目は峠越えのオンパレードで滑る滑る急坂でしたが、そんな中で唯一滑らないところが、白線の上と気付いたときには、とても嬉しかったですね。わりと急坂で白線上以外は、Vento号も前輪が空転して、まったく登れなかったのですが、前輪を白線に合わせたとたんに、滑らなくなったというのは、大発見でした。嬉(*^_^*)嬉
この時期のハブさんですが、止まっていたハブさんは、数回見ました。中には、今にも飛び掛ってきそうなハブさんもいたのでビックリしましたが・・・。
それからこの時期のお天気情報ですが、ガイドブックには、年間雨量が一番少ない時期だと書かれていたので、雨が一番降らないのかと思っていましたが、毎年の年末年始はほとんどが雨と地元の方に教えていただきました。
それから、風がきついと聞いていましたが、それは、私の予想を遥かに越えたものでした。まさか、台風並みの暴雨風、暴風だとは思っていませんでしたから・・・。
Vento号の旗が、真横になびいている姿を初めて見ました。よく折れなかったなと感心しております。私の心と同じでしたね。なんてね。私は小心者ですが・・・。(^^ゞ
まあ今年は、「いつもより多めに吹いております」ということでしたので、これも私の旅だなと思いました。(~_~;)
それから、グルメとは縁遠く、結局、沖縄料理では、ゴーヤチャンプルーと豚の生姜焼。ポークおにぎり。に留まりました。今度は、観光メインとか、グルメメインとかで着たいですね。
一番印象に残ったことは・・・と聞かれれば、即答で『人』『出会い』『心』ですね。
一番きつかったのは・・・奥から名護に向かう県道70号線。
と一番・・・と書き出すときりがないですね。厳しくも、楽しくも、全てが旅の想い出として、私の宝物です。嬉しい限りです。ありがとうございます。(*^_^*)
さて、そろそろ感想を書いて締めくくりましょうか!!!
今回の沖縄の旅は、雨がない、寒くない、余裕を持った一日70km設定で、欲張りなぐらいたくさんのイベントを盛り込んだ、文字通りの気持ちの上でとても贅沢な観光地めぐりと言うワクワク感満載で沖縄入りをしたのでした。その中で、自分の手で沖縄の海岸線沿いを一周することで何が得られるのかとても楽しみな、第20弾だのでした。
またその反面、これまで西本州、四国、九州と走破してきましたが、さほど緊張や、不安感もなく、それなりに走ってきたのですが、同じ日本でも、沖縄と言う観光地としては、ビックネームに、ワクワク感よりも、不安感の方が大きかったのも事実でした。なぜなのかは、わかりませんが、沖縄店を出発するまでは、ドキドキ感満載でした。しかし、ハンドルを廻し始めた瞬間解き放たれたかのように、心も身体もスッキリとしたのでした。
初日は、朝から晴れで、半袖でちょうど良いくらいだったので『お~沖縄だ!!』とテンションも高め、しかも外国の方の多さにも『お~沖縄だ!!』と観光地としての沖縄を満喫したのでした。
初日の早朝に取材に来ていただいた、琉球朝日放送様のお陰で、この8日間毎日のように、「テレビを見ましたよ!!頑張ってくださいね!」と励ましのお言葉をいただくことになるのです。琉球朝日放送様、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
そして、2日目の午後からの雨で観光地としての沖縄が一転。雨によって霧がかったたくさんの小島がとても淋しく見えるのでした。私の目から見えた景色は、グレー1色。さっきまで青に、オレンジに、緑と、とても色鮮やかで、トロピカルな南国の暖かい色に心が躍りまくってワクワクと優しさに包まれていたのに、一瞬にして、トロピカルなイメージが吹き飛んだかのような、グレー一色の淋しさに何かしらの違和感を覚えたのでした。
この違和感は、なんなんだろう??
と・・・。
そして迎えた3日目。名護から大宜味に向かう道で、奥武島あたりまで、交通量のとても多かった国道58号線が、奥武島を過ぎた辺りから一気に交通量が減り、本当に一気に交通量が減りと言う言葉がぴったりなくらい、数えるほどの車しか走らなくなり、なんとなく淋しいなと思いながらも、少し走って前方の視界が拓けたとたん、左真横に波打ち際と言う絶景に鳥肌が立った!!
即海が、すぐそこに、手が届きそうなほどに!!
とてもグラデーションの美しいエメラルドグリーンの海が広がっていたのです\(^o^)/
これぞ沖縄と心拍数の上昇、気分も上昇。ウキウキワクワクのしっぱなし。
しかし、次第に風が強まり、強まり、強まり・・・。あっという間に暴風に!!
塩屋湾のある、宮城橋に来たときには、あまりの向かい風のきつさにまったく前に進めず。『道の駅おおぎみ』についた頃には、暴風に雨が加わり、暴風雨に!!
この頃には、あたりは重たい雲に覆われ、さっきまでエメラルドグリーンに輝いていた海までも、グレーに・・・そして、ふと思い出したのが、昨日の雨の小島のグレー。Vento号はほとんどと言っていいほど進まず、目が開けられないくらいの暴風雨の中、私が目にしたのは、グレーの海と、グレーの空と、グレーの山。そして時間がコマ送りになっているかのように静かにゆっくりとグレーの景色が動いていくのです。
その中に飛び込んできたのが、もう一つの沖縄の姿でした。沖縄に表の顔(観光地としてのトロピカルなイメージ)と裏の顔(戦争と言う悲しい歴史のイメージ)があるという表現は正しくないかもしれませんが、やはり忘れてはならない、激戦地だった沖縄も感じたのでした。
沖縄入りしてからも、戦争のことは、ほとんど頭になく、楽しい観光地というイメージしかなかったので、なんでだろうとも思ったのですが、グレーの景色の沖縄は、とても悲しく暴風雨の中、淋しさと、悲しさで涙が止まらなかったのでした。
そして、辺戸岬。雨は止んでいたのですが、相変わらずの暴風。沖縄の最北端。この景色もやはりグレー。どう表現したら良いのか・・・。ごめんなさい。
ただ、風もなく、青い空、青い海、緑の山を見ていたら、まったく感じ方も違っていたでしょうね。(~_~;)
そんな中、テントを覚悟していた私に、快く一夜の宿を提供してくださった奥の施設の方々の暖かいお心遣いに、人の心の暖かさをひしひしと感じ、溢れる感謝の気持ちを抑えることができませんでした。本当にお世話になりました。ありがとうございました。m(__)m
そして、4日目。ここは、準備段階から、この沖縄の最大の難関と予想していたので覚悟を決めて走り出したのでした。道路はしっかりと舗装されていたので走るのには、問題なかったのですが、道路の両脇は、ジャングルとまではいいませんが、うっそうとした木々が覆い被さっている状態で、車はほとんど通らず、鳥のさえずりくらいしか聞けない山の中でした。まだ、横に伴走者がいれば、気もまぎれるのですが、急坂の登りでは時速5km程度ののろのろスピードと言うことで、ライオンやトラがいるわけではないのですが、野犬などに出くわしでもすれば、逃げるすべもないということで、超小心者の私は、不安感MAXでドキドキハラハラしながら、まったくの単独でのランを続けたのでした。
お昼ごろようやく東村役場に着き、昼食をとったときには、一日分の体力を使い切っていたようで、残りの峠越えのきつさまでは、頭にありませんでした。そして小さな峠を2つ越して、大きなきつい峠を越せるか越せないかと言うところで、両腕も限界に。
もう無理かと言うところで、峠の頂上で待ってくださっていたのが一眼レフ夫妻だったのでした。このときは、本当に嬉しかったですね。折れかけた心がつながった瞬間でした。まさか沖縄までとも思ったのですが、朝からのジャングルの恐怖感もあったので、一気に心がゆるんでしまい不覚にも、一眼レフさんに涙で緩みきった顔をパシャリと・・・。(^^ゞ
ちょうどこのとき、脱水状態だったのか、全身に低周波治療器をつけているかのような、痺れが・・・。特に両手と顔の痺れが少しの間続いたのでした。真夏の桜島で同じ症状を味わっていたので、経験している分、あせりはありませんでしたね。そのときもやはり一眼レフ夫妻がちょうど側にいてくださったのでした。不思議ですね!!
そこでしっかりとエネルギーを分けていただき、名護に向けて再スタート。さらに進んだ先で東から追いかけてくださった地元の方の暖かいお心遣いに、さらにエネルギーを分けていただき、エネルギー満タンに!!!
年末最後の走りをしっかりとサポートしていただいたのでした。
ありがとうございました。m(__)m
明けて新年元旦の5日目。グレーの沖縄とトロピカルな沖縄を一つにしてくれる出来事があったのでした。それまでは、なにかスッキリとしない、悶々とした何かが、心のどこかにつっかえていたのですが、ラジオ関西電話生出演の為に、どうしても光が降り注ぐ海が見たくて名護から南に下り、沖縄工業高専近くまで着たときのことでした。米軍基地より、アメリカ国歌が流れ、「そらそうやはな米軍基地なんだから」と思った矢先に、日本の国歌が続けて流れたときに、ずっとつっかえていた、悶々とした何かが、スパッ!っと吹っ切れたのでした。その瞬間、涙が止まらなくなりました。泣きたいわけではないのに、自分では抑えられないくらい無意識に、とめどなく流れる涙に、とっても癒されて、とっても安心感があって、とってもホッとして。とっても嬉しくて。とってもありがたくて。涙が止まらなくなったのでした。
それは、二日目の午後から、4日目の午後までの自分の中での沖縄と言う何かとの葛藤の答えでした。その答えが具体的にこれですという表現はできませんが、何か本当につっかえていた、しずくが静かに心と言う湖に到達し、一つになった瞬間でした。それほど心地の良いものでした。全てが満たされるかのように・・・。
そして、電話生出演の瞬間の一時だけ、私に向かって差した光が、初日の出だったのでした。本当に嬉しい瞬間でした。(*^_^*)
心晴れ晴れとした、5日目でした。
6日目。これまで酷使してきた右肩が限界を超え激痛に。まったく使えず、じっとしていても激しく痛むのでした。午前中で一眼レフ夫妻は帰路に着かれ、また、一人旅の続きです。お昼ごろにはさすがに、右肩の状態の悪さにどうしようもなくなり、右肩の現状を知るべく、西山さんに電話。症状を分析していただく。結果は、絶対安静。すぐにでも帰ってきて欲しいという状態だと知らされ、右肩の現状を把握。その場で、ストレッチ法、応急対策法を教えていただく。後は自分がここまでと決めた限界を超えた時点で、沖縄を止めることも視野に入れて、左腕だけで漕ぎ出す。(右手はハンドルに添えています)
一気にペースダウンするも、昨日少し長めの距離をこなしていた為、今日はちょうど短い距離であったことが幸いし、夕方には、予定の知念岬に到着。明日の右肩次第と言うことで、お風呂で十分にストレッチを行い、早めに右肩を休める。
7日目。なんと、右肩の痛みが半減、と言うか奇跡的に快復。両手で漕げる状態に・・・。しかし、油断は禁物と慎重に漕ぎ進める。5日目以降は、わりと天気に恵まれ、観光地としての沖縄を満喫。この7日目も、とても穏やかな観光日和。沖縄での戦争の記憶が一番残っている、平和記念公園。なぜかここでは、悲しみよりも、穏やかさが伝わってくる。そして、ひめゆりの塔。ここでは、不思議なつながり・・・『絆』を感じることに・・・。ガイドの、りこさんに教えていただいた『一期一会』と言う言葉、旅では、どこでも聞ける言葉なのだが、りこさんさから教えていただいた『一期一会』には、とても深い思いが込められていた。それは、たぶん『今を生きているから』と言うことだと思う。
そして、その不思議な、つながり・・・『絆』は8日目にも、奇跡的な偶然と言うか・・・出会いの連続で・・・。
最終日の首里城では、午前中をフルに使って満喫したのですが、そこには、琉球王朝が栄えたであろう原点を観ることに・・・。
沖縄を締めくくるにふさわしい、体験と感動がそこにはあったのでした。
この8日間で出逢った方々は、数知れず、地元の方をはじめ、観光で訪れた方まで、たくさんの方々の応援、支援を一心に注いでいただくことで、一歩一歩着実に前進させていただき、全ての困難を乗り越えるエネルギーをもいただけたような気がしています。
今回、自然の写真とともに、恥ずかしくて、なかなか「写真を撮らせていただけますか?」と言えない私が、珍しくたくさんの、お世話になった皆さんの写真を撮らせていただけたのでした。その写真を今ゆっくりと振り返りながら見て気付いたことは、皆さんとても暖かく素晴らしい笑顔をされていることでした。今でもそのときのことが、鮮明に思い出せるくらいに本当に素晴らしい皆さんの満面の笑顔を見ていると、今でも勇気付けられ、心温められ、とても癒されるのでした。ここにも沖縄の全てがあるような気がしています。皆さん本当にありがとうございました。もう一度、ありがとうございました。(*^_^*)m(__)m\(^o^)/
そして、沖縄と言う、自然の皆さん(海、空、山、鳥、虫、魚、お天気さん等々)から8日間と言う短い時間でしたが、じっくりと、ゆっくりと、教えていただいた厳しさと、暖かさに感謝いたします。本当にありがとうございました!!m(__)m
ひゃ~~むっちゃスッキリした~!!
沖縄への思いを出し切ったぞ~!!
なんかむっちゃ嬉しくなってきた。ほんまにありがとう!!
むっちゃありがとう!!ありがとう!!
ようやく、書ききりました。
沖縄から帰ってきて4日目と書き出しながら今気がつけば、日付変わってた。(^^ゞ
帰ってきて5日目やね。
書くのに7時間かかりましたが、この充実感、満足感は何ものにもかえられませんね。
むっちゃ嬉しい~~~!!!!!(#^.^#)
ありがとうございました。m(__)m
8日間と言う、短い時間で感じた私のなりの沖縄報告でした。
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